◇大久保小校長 1日に佐世保市の大久保小であった「こころを見つめる集会」。あいさつで、04年に起きた同級生殺害事件の内容について触れなかった久家三喜男校長は、集会後「7年という時間はたっているが、事件の重さは感じている。中身よりも、得た教訓が大事であると感じ、どんな事件かは児童らに言わなかった。まだ私の中で整理できていないこともあるが、現時点では伝えるということはないと思う」と話した。 一方、佐世保市の永元太郎教育長は同日、事件を風化させないために「その教訓の元になったことに関して、6月1日は大事な日なので、表現を選びながら、もう少し触れても良かったのではないか」と話した。〔長崎版〕6月2日朝刊◇初代災害警備隊長 思い出写真、つないだ縁 雲仙・普賢岳を長年撮影し、91年の大火砕流から20年の今年、長崎市で個展を開いた高原至さん(87)を、県警島原署で初代災害警備隊長を務めた牟田好男さん(享年64)の妻が訪ねた。多くの住民に慕われた牟田さんだが、警戒区域で写した写真を知人に譲って処分を受けたこともある。そのきっかけをつくってしまったと悔悟の念を抱き続けてきた高原さんは、個展に牟田さんとの写真を飾り、それがきっかけで奥さんとの再会を果たした。【下原知広】 普賢岳の噴火災害では91年10月、警戒強化のため警備隊が設けられ、牟田さんは初代隊長を務めた。高原さんが出会ったのは就任直後だった。 島原署を訪ね話を重ねるたびに、住民のことを真っ先に考える牟田さんのこまやかな心遣いにひかれた。一方、幼いころ父親を亡くした牟田さんも、年の差がある高原さんを父親のように慕った。 「人が行けない所に入るなら、写真を撮りなさい。後できっと記録として役立つから」。写真家の“父”は、最前線で情報収集にあたる牟田さんにそうアドバイスした。だが、それが後であだになった。牟田さんは94年、公務中に立ち入り禁止の警戒区域で撮影した写真を知人らに実費で譲っていたことが問題となり、県警の処分を受けた。 公私にわたって住民の世話を続けた牟田さんへの「寛大な処分」を求める署名は、約2万5000人分に達した。代表が署名を携え、県警本部に乗り込んだが、及ばなかった。「良かれと思って言ったことが……」。高原さんは今も悔やむ思いが消えない。 牟田さんは問題となる前の94年3月、県警本部に異動となったが、処分後、新しい職場から警察活動への協力や嘆願署名集めなどに感謝する手紙を住民に送った。そこでは「『住民の方に生かされて生きる』。この気持ちを忘れず警察官の使命を全うしたい」と記し、定年まで勤め上げた。 牟田さんは昨年2月に急逝し、高原さんがその死を知ったのは昨夏だった。家を訪ねたかったが、連絡先が分からなかった。そして、5月24日に始めた個展。普賢岳災害の写真の中に、牟田さんと2人で写った思い出の写真を飾った。そ ティファニー れを人づてに知った牟田さんの妻が会場を訪ねてくれた。 「自分のことより人の心配ばかりして」「甘い物に目がなかった」。思い出話は尽きなかった。高原さんは「牟田さんに会った時のさわやかな思い。どんな疲れもすーっと抜けていっ アユ漁:釣果いまひとつですが… 太公望、待望の解禁  た」。遺族と自分をつないでくれた写真に、そう語りかけた。〔長 今年の踊町と演 崎版〕6月2日朝刊